昭和40年04月14日 夜の御理解
今晩夜の御祈念に併せて、北さんのお父さんの、45年の今日は祥月命日にあたるというので、まあ心ばかりのお祭りをして、というて真心込めてのこのご依頼が御座いましたから、今晩御祈念に合わせてから、慰霊の御祭りを簡単ながらさせて頂いたわけなんです。御霊と私共のこのつながりというか、私達が例えば、先祖の持っておる良い物、同時に悪い物。いうなら先祖のもっておる徳。
または先祖の持っておるめぐりと、いったようなものがです。私達の上に様々な難儀になったり幸せの元になったりまあしておるわけなんですけれども、幸い内田さん達一家を上げて信心をされてある。段々、御繰り合わせを頂いての、そのめぐりの、先祖から残されておるめぐりのおとり払 いを頂く事に、務められると同時に徳積みの稽古がだんだん出来ておると、おかげで、いわば、御霊様の良い物だけを正しく継ぐ事が、出来ていきよるということになるわけですね。
先祖の良いところ、悪いところいや、先祖が受けておられるところのめぐりであり、お徳でありと、それを私共の信心によってです。先祖から残されておる、いわば借金払いを一生懸命していけよというわけ。ですから、残っていく預金の方もだんだん、出来てくる、と言うことはどういうことになるかというと、先祖の良い物だけを正しく受け継いでいきよるという事です。
もう早くから、御霊様を私お預かりしておるんですけれども、まあだ贈名をしていなかった。ですから神様にその事お願いさせて頂きましたら、ただ今のことを頂くんですよ。そして「正継」と頂きました。正しく継ぐという字。だからあの霊名には相応しくないから、「つ」は天津の津ですね、唐津の「津」です「正」は正しい「く」は久留米の久。だから鶴田夢二正津久彦之霊神という位号ですね贈名を頂いたわけです。
そしてから、今私が申しました様な事を、一つ思うて見て頂きたいと思うですね。先祖の持っておる良い物、ね、先祖が借金を持っておって、子供が又その借金に上積みするような、家庭が沢山ある中にです。私共の先祖が持っておったいうならめぐり、または持っておった所のお徳と言う様なものだけを、愈々生かして行く、愈々そこの良いところをだけを受け継いでいくという事の為に。
私共いかに信心修行をさせて頂いて、めぐりのお取り払いの頂いていく事の、信心の喜びというものを頂いていかなければならんかという事が分かるでしょう。私今日一つ不思議な事があった。今、あの、御祭りを仕えさせて頂く前に裏に下がったら、家内が一生懸命そのお茶を入れているんです。それであの、お湯飲みの綺麗な「一心」と書いてある、「あらこげな湯のみどこから出てきた」ち言うたら
「今日はあなた、貴方が内田さんところの御霊様に、お前はお茶なっとんお供えさせてもらわなじゃこてといいなさったけん、私は一生懸命この茶碗ば探したち。したらこの新しいのが出て来たから、これでよいでしょうか」と言う。私その時ハッとしたんです、ことは、私は一つも見ていないんです。私は家内に御霊様の御祭りの事も、お前がお茶を注がなければならない、あの差し上げろということもです。
で私はけれども不思議と思うたから「俺はそげな事はいわんぞ」とは言わずにひょっとして、御霊様が私をかって、言わしてござるかもしれないと思ったからですね、私ああそうかと、それはそれでいいぞと、それは丁度「一心」と書いた、あの後藤寺教会の記念祭の時に頂いておる、御霊様あのお湯飲み茶碗、新しいのです。だからあのそれにお茶を注いでから家内がお供えさせて頂きましたら、座った途端にですね、一番初めにお茶を有り難う御座いましたという、御霊様の御挨拶を頂いたのですけんね。
私はいうておらんけれども、家内は言われたと思うて、けれどもひょっとしたら私がいうておるかもしれんけれども、私が言うた気はさらさらないです。こういう所があの御霊様の関係の御祭りなんかをする時は、非常に不思議な事を感じる事が、何時もありますね。私は何も言っていないです。ただ久富先生が準備をする段で、久富先生だけには言うた筈ですけれども「家内にお前はお茶だけなっとんあの、真心込めてお供えせろ」なんて私は言うた覚えはないのですよ。
ところが家内がそういうんですね。そしたらただ今頂きます事はその、お茶を家内のいわば真心一心で、いわばお供えさせて頂いたお茶を、有難い有難う御座いますという、御霊様のお礼をその事を、一番口に受けたと言った様な事から、思うて見ましてもです、ね。一心という事が如何に有難いか、真心というものが有難いかという事を感じます。お茶を一服にでも御霊様は喜ばれるわけなんですからね。
おかげを頂かねばなりません。